墨田川の下流、旧永代橋のたもとで日本銀行が開業したのは、1882年(明治15)10月
「旧北海道開拓使物産売捌所」がこの年の2月に廃止されており、そのレンガ造り2階建ての建物を、政府から仮店舗として借用
この建物はイギリス人建築家のジョサイア・コンドルによる設計で、当時、工部大学校(現、東京大学工学部)の学生だった辰野金吾も設計にかかわった
営業を始めるにあたり、この建物の周囲に木造2階建ての営業場や金庫が増築されたが、あくまで仮店舗なので手狭で
そのため開業の翌年には、早くも本店移転計画が決定されています
移転先に選ばれたのが現在の日本橋本石町で、周囲に金融機関が多かったことや、大蔵省(現、財務省)も常磐橋を隔てた大手町にあって近いため、連絡の便が良かったことが理由とされています
設計を手掛けたのは、前出のとおり辰野金吾で、当時は34歳という若さで工科大学校の教授と臨時建築局工事部長
辰野は設計に取りかかる前、1888年(明治21)8月から14カ月にわたって欧米に出張し、各国の中央銀行を視察
とりわけ詳細に研究したのが、ベルギーやイギリスの中央銀行だったといいます
帰国した辰野が描き上げた設計図は、地上3階地下1階、古典主義の石積煉瓦造建築で、日本における初の本格的な国家的近代建築
予算を大幅に超えていたことが問題となったものの、それでも辰野の設計案は採用され、1890年(明治23)9月に着工
1893年(明治26)の末に完成する予定だったが、1891年(明治24)に起こった濃尾大地震と1894年(明治27)に起こった日清戦争で工事が遅れたため、すべてが完成したのは1896年(明治29)2月
辰野の設計案が採用されたとき80万円と見積もられた総工費は、最終的に112万円に膨れ上がっていました
これが現在の貨幣価値でどれくらいになるか、単純に換算することは難しいですが1897年(明治30)頃の米10kgが1円12銭だったそうです
1932年(大正12)9月1日に起こった関東大震災では、建物の一部を損傷したが倒壊を免れています
そんな歴史のある日本銀行本店本館は、ネット予約すれば無料で見学できますので機会があれば見学してみるのもいいかもしれないですね(⌒∇⌒)